愛=猫論

部屋にいるとたまに風鈴の音が聞こえてくる。近所の家の軒先に一年中風鈴が下げてあって、季節を問わず聞こえてくる。夏だけにしなよと思いつつもその音で私はホッタモモさんというSSWのいつかのセブンスで行われた冬のワンマンライブを想起させられてしまう。彼女はギターに風鈴を下げていて演奏の度に揺れて鳴っていた。彼女の声や演奏のせいか、それは涼やかさより温かさを感じる音だった。

就活をしていた頃リーマンショック直撃の超就職氷河期で100社近く受けて全部落ちてもうこれ以上は就活うつになるからやめよう、と半ば諦め気味になりずっと大学の和室にいてサークル活動に勤しみ後輩の指導をしていた。就職が決まらないまま大学を卒業して、その後ハロワに通いながらどうしてもしんどいときにときどきホッタモモさんとイロメガネのライブに行っていた。彼女たちのライブに救われてやっぱり東京に居たいからもうちょっとがんばろうと思えたしなんとか生きていられた気さえする。勝手ながら当時の心の支えだった。

ライブも盛り上がるだけじゃなく演奏を体感しながら静かに心で聴くものであって良いと思う。というか、え、これそんな盛り上げる曲じゃなくない?となるときがたまにあって……そういうときは本当静かに向き合わせてくれってなるし、フロアの空気が無理すぎてライブから離れたりしてしまうときもある。イチ客でしかないし楽しみ方は人それぞれなんだろうけど音楽を利用しないでほしいなって思うとき、正直結構ある。

もう少しの暦

最近は仕事以外幸せを感じることが多い日々を過ごせている。ありがたい話。。自分が感じる幸せや嬉しい感情を適切な言葉に表す術を持たないのでそのまま言うしかないことがもどかしくただにこにこしているだけのことがわりとある。些細なことで壊れてしまわないか、恐る恐る柔らかなもので包んでその仄かな灯りを愛おしく温かく感じていたい。この満たされた感情が、ひたひたに浸された幸せがもたらしてくれた人たちに伝わればいいのになと日々思う。

写真とか何かに残すことに興味がなく日々自分の欠片が少しずつ少しずつ剥がれていってパラパラとこの世界の塵になっていってるような感覚を今日歩きながら強く覚えた。そうであればいいな、となんだか嬉しくなった。そうであってほしい。

Are you hollow?

先日は箱との共催でしたが初企画無事に開催できて本当に良かった……関わってくださった皆さんありがとうございました。ずっとやりたかったことが叶ったな。。1人でただ箱の隅にいるだけだし今もそうだけど気がついたらいつのまにかこんなにも周りに気にかけてくださる人がいたんだなと改めて気付かされました。。ライブ、良かったな〜。本当に私が一番楽しんでいたことでしょう。ずっと5、6年は観てきたバンドも最近知ったバンドも全部純粋にライブハウスで出会ったし、バンド同士もそうだしCrossとも縁ができれば良いなと思ったし全部意図としたところも意味あったかなと思う。またやれたら良いな、いずれは秋葉原で……1組キャンセルになってしまったのでそこはぜひリベンジでまたやらせていただけたら、と勝手に構想しています。

 

昔某モバイルサイトで言葉を書いていたときに"色のない明日は来ない"って一節を書いたんですが、それに対して"色付きの明日がやって来るようになる"のか"色のない明日自体がもうやってこない(未来がない)"のか、と訊かれたことがあって。

私は文系だけど国語がわりと苦手で(文系とは)特に作者はどういう狙いでこう書いたのか、みたいなのを読み取るのが苦手というか嫌で。受け手が思ったことが全てでどんな解釈があってどんな影響を受けようがそこは自由だし余白や遊びの部分だろうと思っている。私の言葉に対して訊かれたことがまさに狙いでもあったから自由に思ったことが貴方にとっての正解、解釈で良いですと答えた覚えがある。もう載せてないけど気に入ってる一節はわりとあるな。"1Kでも寂しさは 夜に溶けて広がるよ"とか。もう作品としては書けなくなったけどだらだらと自分の思いや言葉を書くことがきっと好きだからこれからもここにたまに書くことを続けていくんだろうな。

タイムマシーンについて

私の中で大事にしている言葉があって、それはメレンゲのタイムマシーンについてという曲の歌詞なんですけど、

"ボクの「本当の言葉」はたぶん人を嫌な気持ちにする でも「嘘の言葉」で君や誰かを頷かせるのは嫌だ"

冷たく思われても勝手に病んでると思われても正直どうでもいい。あえて言わないことはあっても本当だけがいいし、ずっとそうありたい。

 

そもそも生まれてきたくなかったと強く思う人間にとって生きていることそのものが苦痛でしかないので毎日希望がない。死が怖い。まさに死にたいようで死ねない、生きたいなんて思えない日々。しかもまだしばらく何十年かここで暮らしていかなきゃいけないのに無駄に生きることを複雑にしやがって……。花を見て美しいと思えて音楽を聴いて心動かされる感情が自分に備わっていて本当によかった。そうじゃなきゃきっとおかしくなっていただろうな。この世界で自分が好きになれたものだけを大切にして小さく細々と生きていく。

 

メランコリック

私が通っていた学校が古くなり家の目の前に新たに学校が建てられることになった。田んぼの敷地を市だか県だかが買い取りそれを元に実家も数年前(もう8年も経ってた)に建て替えられた。

新潟の震災でもうかなりボロボロだったし、新しくなるのは嬉しかったけどやはり自分が育ってきた家がなくなるというのは寂しい気持ちになったし今も時々思い出す。夢に出てくることもあった気がする。だからもう実家があるようでないような気もしている。

建て替えの前の夏休み、最後だから絶対帰省しようと思っていたのに前日にまさかの高熱が出て帰れなくなった。本当に悔しくて悲しくて高速バスの予約をベッドで取り消しながらずっと泣いていた。結構な頻度で夏風邪をひくけどまさかこのタイミングで……とどうしようもなさにただ泣くことしかできずわりと人生の心残りになっている。

その後母親から取り壊される前の外から撮られた今は亡き実家の写真が送られてきた。雪国なので二重ドアになっているけどすでに1つ目の玄関は取り外されていた。結構自分が居たり好きな空間とか建物自体に思い入れを持つタイプなんだろうなと思うから写真を見ながらまた少し泣いた。ちゃんとお別れできなくてごめんね。

新しい実家の窓から見る風景は相変わらず田んぼと山とぽつぽつ建つ家と抜けるほどの空の青と雲の白。でも目線や窓の違いに少し寂しさを覚える。ボロボロで壁も薄くて嫌だったこともあるけど、そこには確かに私の18年の生活が、暮らしがあった。

ぺんてる

この世界線の人生で唯一叶えたかったことがあったけど何より遠くてようやく諦めることにした。それは全然無理だったけどきっと長いこと付き合ってくれそうな(だと勝手に思っている)貴重な友人たちと出会えたことは救いかも知れない。考えが全く一緒なわけではないしときにぶつかったりもするけどめちゃめちゃ救われています……いつもありがとう。。

一人で強く生きて、とかたまに余計なお世話すぎることを言われたりするけど地元から一人で東京に出てきて仕事しながら賃貸で家賃も光熱費も払って暮らしているだけで充分強く生きてるわ!と思うし、まぁこういう意味で投げかけられているわけではないにしろ、私は決して人は一人で生きていけないと思っているのでインフラ含めて私の生活に関わる全ての人にとても感謝して暮らしているからそんなこと絶対言わないし、むしろもっと人に感謝して生きろよ、くらい思ってしまう。

この言葉もそうかも知れないけど、私の口にする言葉が誰かを傷つけたり冷たい人だと思われたりするだろうことを考えると本当に生きていたくないし消えたいしもう何も喋りたくないって思ってどんどん話せなくなってしまう。

世界は果てしないし生活は言葉を奪うし優しさは誰も褒めてくれない。本当に本当にそうだ。

wednesday

深夜の温度感は少し温かみがあると思っていて、それは地元の雪の夜に感じる温かさに似ているのかも知れないなとふと思った。静けさの中でその温かさを感じられるのはなんだか寂しくもあり不思議と穏やかな心持ちでいられる気がする。

昔サークルの先輩に私っぽい(というニュアンスだった気がする)ともらった小説がどんなタイトルだったか長年思い出せないままだったけど、きのうたまたまバズってた誰かのツイートのリプ欄でその小説が宣伝されているのをみてこんな思い出し方なんか嫌だなと思いながらも少しすっきりした。どんな話だったかはもちろん覚えていないし多分これからまた読み返すこともないだろう。

お酒と調味料しかない冷蔵庫に食材を久々に入れた。暮らしを、生活を、少しずつ取り戻していく。