25/10/07雑記
家に帰りドアポストを開け中に入っていた工事のお知らせのチラシを見てまたしばらく騒音に悩まされないといけないのか……とげんなりする。もう一つ入っていた裏千家からの冊子には先日亡くなった鵬雲斎宗匠のことが書いてあり、茶名を取得し終身師範会員になった私の年会費が2万円になったことを知る。た、高い、高すぎる……。
バンドマンのようにスタジオに入って練習をしライブハウスでライブをするようなことをする訳でもなく、ただ月1、2回ほどのお稽古に通い茶道を地味~に続けていてたまになにやっているんだろうと思うときもあるけれど、好きでやっていることだし、なんなら同じお稽古に通っている後輩たちと母校のサークルへ指導に行くことにもなったし、まぁそれはそれでよいのかな。私が現役生の時講師で来ていた亡くなられた先生が許状に添えた「茶道を続けていってください」と書かれた一筆箋を見るたびにやはりこれでよかったんだよな、と思える。今通っているお稽古も先生の年齢的にこのままとはいかなくなるだろう。いつまでやれるかわからないけれど、たとえお稽古に通えなくなっても茶花を生けたり和菓子を買って家でお茶を点てたりしていけたらいいな。
25/10/06雑記
最近ずっと左胸が痛い。いま腹痛で鎮痛剤を飲み、そのおかげで胸の痛みも一時的に抑えられている。痛みのない身体は楽だな。ホルモンバランスによるものなのかなんなのか原因も定かではない。女性ホルモンの奴隷みたいなこの身体が心底嫌になる。早くまた病院に行きたい。原因を知って安心したいし安心できる原因であることを願うしかない。
2025/08/17雑記
体力のない人たちの話題が流れてきて、その中に体力のない人は体力をつける体力すらない、常に薄ら体調がよくない、というのがあって、まさにそれに属している側からしてうんうんと頷いた。
持って生まれた性質、体質、などなど本当に十人十色なのに、成功体験がある人ほど一番厄介に運動を押し付けてくる。それは誕生日を変えられないのと同じなのです。低気圧の日に頭痛になったりする人がいるように、抗えないものなのです。自分の場合は多分元々あんまり身体が丈夫ではなく低血圧だし疲れやすい。無理すると余計体調を崩してしまうので活動をセーブする必要がある。労働後調子の良い時は家事できるけど、そんな日は貴重で限られている。特に連続してライブに行くと疲れるし家事が滞るのでちょっと生活も考えていかないとな、と最近加齢の追い討ちもありしみじみ思うし実際そうせざるを得ない。成功した人は体力を付ける素質があったんだと思う。羨ましい。
散歩好きだし、ライブ中長い時間立っていることもあるし(椅子ありだと積極的に座るようになったけど)、そんなに足腰弱らせるような日々ではないのでまぁ大丈夫かなと思っている。
性質、体質もそうだけど、やはり人の思考は変えられないし、それそのものがそのひととなりでもあるから、尊重し合い、その中で自分の考えも伝え、なんか良い感じに生かしあっていけるといいなぁと思う。
私が少し前から聞いているとあるPodcastで、生きていこうな、と度々言っているのを聞くたびに励まされる気持ちになる。
色んなバンドやアイドルのいうみんなを助けるとかみんなの希望になるとか、死にたいときに助けてくれる訳のない無責任で寄り添ってくれないしょうもない言葉より、しみじみ、あぁそうだな、と思わされる。先日のとあるライブで、生きていこう、と握手を交わしたときにもそれを思った。そんなことを思いつつ諦めたくなる日もあるけど、ご飯を食べ、洗濯をし、布団を干したりしながら、日々を繋いでなんとか生きていけたらな。
2025/01/12雑記
個人の集合体が「人間」という種で個人個人が意思を持っているのは種への抵抗としての進化なのではと思った。虫なり鳥なり本能で種を長続きさせ後に繋げようとするための集合体の一部でしかないような一個体一個体の個性とか、ここに自分が自分として確かに生きてきた、という儚い存在証明というか。
生きていることももちろんつらいししんどいことだらけだけど、それ以上に死が恐怖すぎる。死は多分絶対で、私が私として存在できるのもほんの数十年しかない。生きている間にすらそれを認知できなくなるかも知れない。意識がなくなることがずっと怖い。なんかもっと単純で個人個人を尊重し生きやすい世界の世界線だったら良かったのになぁ。そしたらきっとこんなこと考え至らずに済んだのだろう。
エアメール
いとこの家のトイレのペーパーホルダーはいつ行っても埃まみれだったなとトイレ掃除をしながら思い出す。そういえばよくネズミもいたな。
母親の実家が東京なので年始は毎年東京で過ごしていた。朝居間のこたつに入りおもちを2個入れてもらったお雑煮を食べながらいとこや弟とドラゴンボールとか見ていた気がする。バスに乗ってみんなで浅草寺にいったり、お年玉をもらったり。年始のまったりとした空気感が好きだ。新年という真新しさが好きだ。歳をとったらお年玉あげる側になるんだろうなとか漠然と思っていたけど、別に全然もらいたいし小さい頃の印象のまま年始の空気感が好きだ。何にも変わらず歳だけ重ねてきたしそれでいいと思っている。
ごめん
「もう会えない人は死んだのと同じ」とさゆゆも歌っているように、また私の人生から離れていった人がいる。私の10月末の連休中に退職する人がいて、今日が最後だと気がついた当日会社近くの洋菓子も売っている和菓子屋さんでハロウィン仕様のパッケージに入ったマドレーヌを買った。普段そんなことはしないがその人は一時期指導したりしていたこともありなんとなくお菓子を渡してお別れの挨拶をちゃんとしようという気持ちになった。
連休明け出勤すると机にお菓子が置いてあり、メールに退職の挨拶が届いていた。それはいつも全員に送られるようなものではなく私宛のメッセージで、もしやひとりひとりに送ったのだろうかとも思ったけど素直に嬉しく寂しさを覚えた。たいして話すこともなく同じ空間にいるだけの人でもいなくなるたびにどこか小さな穴があくような気持ちになる。心に会えなくなった人たちの墓がまた一つ増えた。時々なんとなくあんな人いたな、と思い出してはお墓参りをするのだろう。
帰り路
先日髪を切った。美容院までバスに乗っていくのですが、前の席に学校帰りの女の子2人が座って楽しそうにしていて、1人が先に降りて残った子が降りていった女の子に向けて手を振ったけれど降りた子はこちらを振り返るわけでもなくて、それでもその子はずっと手を振っていて、きっと2人はまた明日会えるんだろうけどその光景がとても切なくて優しくてまた明日に向けて振られた手のことをなんだか忘れられずにいる。